2019年8月13日 よし、ブログを始めてみよう!
その理由は、今までの経験が全て活かせるモノだと気づいたから。
そう思うに至る 長い道のりを記載した記事です。
人とのつながりを感じた小中時代 ~人は一人で生きるんじゃない!~
いきなりネガティブになってしまいましたね。ですが、ここに触れないわけにはいけません。それは、自分にとっては、人との関係が大事!という自分の芯の1つができた時期でもあるから。
いじめに遭ってた小学生時代
特定の人たちからのいじめに遭っていました。といっても、最近ニュースになっているほどではなかった気はします。
とはいえ、子供ゆえ「やること」「あだ名」などえげつない悲惨なものも多かったです。ゴキブリと呼ばれたり、顔面を上履きで蹴られたこともありました。座る瞬間に椅子引かれて尾てい骨を強打して一時的に歩けなくなったり。文房具や算数のドリルなどが盗まれたり、上履きの中に画びょうや泥が入ってたり、どこかに隠されてたり。言いだしたら、キリがありません。
でも、そんな時に、手を差し伸べて助けてくれたのが、親であり、一部の友人であり、先生方でした。言葉にはしなくても、真剣に相談に乗ってくれて、態度でも示してくれました。
何かが変わった中学生時代
もう1つ別の小学校と一緒になった中学校。ここでも、小学生時代にイジメてきた一部の人と、もう1つの小学校から来たいじめっ子からのいじめは続きます。いじめの内容もほぼ変わらず。ただ、先生方(一名を除く)や事務員までも、皆が味方になって真剣に子供たちと向き合っていた環境でした。それゆえ、いじめに対する対応も小学校以上に真剣で、本当に嬉しかったと記憶しています。
矛盾しますが、上記で除かれた一名は当時の技術の先生。推薦入試の結果発表を待つ身の受験生に対して、「どこ受けたの?あ~そこなら、心配しなくても落ちるから大丈夫」なんて抜かしたんですよね。校長室まで行きましたが、校長先生がいなくて断念したのを、今でもはっきり覚えています。今の時代なら、即行で謹慎処分でしょうね。結果は受かっていましたが、その人は卒業まで期間、よそよそしい態度を私に取ってました。ホント、直接関わり持った先生で最悪なのは、この人だけ。
話は戻り、中学生になることで、吹っ切れたのでしょうか?性格や人への接し方が、前向きなものになっていたのかもしれません。男女問わず、仲の良い人が一気に増えました。
小学校時代に嫌がらせをしてきた一部の人とは本音で話すこともあり、いじめが環境の違いからくる嫉妬によるものということも分かりました。その人は親にも気持ちぶつけてたらしく、親子でお互いの心を理解し合えたようです。加えて、このような子供の親は頑張って働いているが故の代償なのかな?ということも実感しました。真剣に向き合う時間が取れず、子供と真剣に話す時間も取れていないようでした。
今思えば、義務教育の9年間は、周りの人に本当に助けられていました。この期間で、「自分は一人で生きてるんじゃない!」「人とのつながりを大切に!」「家族の在り方」ということを真剣に感がさせられたかもしれません。
自分の転機になった高校時代 ~音楽との出会い~
いじめから解放され、楽しい思い出にあふれた高校生活
この時期は、もう楽しみしかありません。嘘です。正確には「他の何よりも楽しさに増していた」です。勉学・部活・音楽・恋愛・スポーツ、色々ありました。が、ここでは、ブログにつながりそうな事のみに絞ります。
実は、小中学校では「音痴」とバカにされ続けていたんです。そのため、音楽はどちらかというと、好きでしたが避けている側でした。しかし、いつまでも避けたままでいることはできません。学校の授業以外で音楽を頑張ってる姿を見る機会が多くなりました。今でも付き合いのある友人が軽音楽部でドラムをやっていたのを見たり、エレクトーンをやっていた友人の発表会を見に行ったり。当時はあくまで「憧れ」止まりだったのですが、上記のドラムさんにカラオケに誘われた時の一言。
「言うほど音痴じゃないじゃん!」
これが、後々の人生に多大なる影響を与えようとは・・・
また、少しだけドラムを教えてもらえる機会があったのですが、その時は自分が演奏するイメージも沸かずオドオドしてた記憶があります。
勉強と遊びの大学時代 ~音楽の楽しさ/頼られることの実感~
CMからの衝撃
大学ではもちろん勉強もやりましたけど、カラオケ・ボウリング・テニスと遊び倒していました。
そんな中、TVのCMで聞こえてきた あの曲「SAKURA」。優しくて暖かいけど、芯があって力強い歌声だな~と聞きほれました。あんな風に歌いえたらな~と。何より以降の曲では、すごく楽しそうに歌ってるな~と。いきものがかりと出会うことで、音楽の楽しさを思い出しました。いきものがかりと出会わなかったら、今の私はないと思います。就職後の本当につらかった時(後述)は、何度も元気をもらいました。
頼られることの実感
遊び倒していたとは言いましたが、学科内での成績は上位に位置していました。そのため、いろんな人に勉強を教えることもありました。勝手にノートのコピーを取られる事もあり、あえてカラー印刷でないと見にくい作りにしたことも(苦笑
院生になると「学部生の実験指導」や「研究室内で後輩の指導」を行いました。教えることの楽しさ、知識の展開を覚えたのは、この頃です。教えることで自分の知識の確認だけでなく、感謝もされる。人に頼られたり、感謝されるって、良いな~と実感しました。
就職後 ~バンドと天国と地獄~
事件が起きた社会人1年目
1年目、それはそれは、全てが真新しく、やってやろー!という気になっていました。そして、初めてバンドをやったのも、会社の人に誘われたこの時です。パートは、女性ボーカル。。。3オクターブ出るため、アニソンバンドに誘われました。※1度ライブをしたところで、このバンドは脱退しています。
バンドに、仕事に充実した一年目かと思いきや、事件発生です。家族が脳梗塞を発症しました。リハビリを頑張った甲斐もあり、寝たきりなどにはなりませんでした。ですが、腰の手術もしたことで、1人での外出は不可能になり、以降ずっとサポートが必要に。今までも思っていたのですが、この時に目の前で実際の発症直後の状態を見ていたこともあり、より強く家族の絆や大切さを実感しました。
趣味の探索と没頭
実は会社に入ってから、人間関係などでメンタルを壊したことが何度かありました。初めは頑張ろうとしたり、上司に伝えても事実が伝わらなかったりして、最後の時は様々な症状が出ていました。そのため、通院やセルフケアの勉強もしました。
音楽関係(バンド活動・DTM)、写真(主に、風景やイベント事での撮影)、動画作成(友人の結婚式での写真を使ったサプライズプレゼントがきっかけ)、寺社仏閣への一人旅(出雲大社も行きました)
これに伴い、楽器関連の機材、Adobeのソフトなどなど色々手を出しました。しかし、当初それら全て手に余るものに近く、もてあそぶような状態。しかも、それぞれは独立したもので、違う方向を向いていました。
ですが、次第に個々の糸(意図)は互いに絡み合い 1つの生地(記事)を作り上げていきます。
現在から未来へ ~1つ1つのピースは無駄じゃなかった~
1つ1つのピースが1つに
道具や趣味は、視点を変えると色んな応用のイメージが浮かんで来て、つながり始める。
- Adobe系のソフトは写真だけだったけど、SNS や バンドのチラシ作りなどにも活用
- 動画作成は、プレゼントの他、バンド活動にも活用できそう
- DTMは、バンド活動の練習音源づくり、アレンジのイメージ展開用のみでしたが、動画などの効果音づくりとかで活用
などなど。
そんな中、プロフィールでも記載していた以下の思い。
- 色々調べたりしてても、メモ残せていない
- 自分が困ったことって、誰でも困ることではないか?という疑問
- 情報を必要としてても、調べても見つからない人もいる
- ノウハウが自分だけで終わるのはもったいない
- ノウハウの行方不明の回避
- ごく稀に必要になって忘れてしまってることが多い
これらの理由から、当初はノウハウ集がてらブログをやってみたら良いじゃん!って考えのみでした。
しかし、色々イメージしていく中で思ったこと。
今までのすべて活用できるんじゃない!?
- 画像・動画・イラストは、ブログを飾れる!
- 音楽関係や機材では、セッティング・練習方法など、色んな情報を載せられるかも!
- もしかしたら、自身の辛い経験から得たものが役立つ日が来るかも!
ブログってメンテも含めると、
- エンジニアとしての知識の増加
- あまり活用できなかった資産の利用
- もともと持ってる知識のさらなる向上
など色々、試すこともできるじゃん!!
自分にとっては、単なる情報提供だけは終わらず、色んな楽しみ方ができるもの。まさに、「自由気ままに、誰かへの遠慮もなく、やりたいことを試せる場所」。
ということで、私にとってメリットが多大にありそうなブログ。
開始します!!